「健康でないと本は読めない」と気付く

人生2回目の溶連菌になった。保育園でも発生者がいたようなので送迎でもらってきたのだろうか。39度超えはやはりきつい。

病院へ行って薬をもらって回復しつつあった。とはいえ、これから1.5日ほどは家で安静することになる。であれば、積読になってる本を読もうか。熱が下がってきた時にはそう思っていた。

が、しかし、である。

読めない。本が読めないのだ。

  • 時間ができたら読もうと思っていた本が10冊近くも積んである。
  • 時間はある。それも1.5日ほども。

というこれ以上ないくらいの最高の状況が揃っているのにも関わらずだ。上記の箇条書き2つを見ると、どう考えてもおかしい。条件が揃っているのに、実行できない。

結局1.5日、本を1冊も読むことはなかった。1ページすら読んでいない。なんなら本を触ってすらいない。スマホをいじったりアマプラで映画を見て終わってしまった。

いまこの記事を書く前に、1時間ちょいくらい本を読んだ。一気に150ページくらい読んだ。読めた。溶連菌から復活した。体調回復しているのが今。

あらためて状況を振り返ってみると、以下のような状況であれば本が読めたと思う。

  • 時間ができたら読もうと思っていた本が10冊近くも積んである。
  • 時間はある。それも1.5日ほども。
  • 心身ともに元気なら実行できる。

動画やSNSを見るのとは違い、読書はある程度は能動的にならないとできない。映画やアニメ、だれかのツイートなら完全に受動的でも見れる。

能動的=多少のエネルギーが必要、なので病気でやられていると難しい。活字を読む行為は、立派な「活動」だ。

老後になって時間がたっぷりできると、たくさん読書ができるわけではないかもしれないと悟った。つまり読めるうちに読んでおこう。元気なうちに読んでおこう。

健康が当たり前であることにスケジュールや将来を考えてしまうが、そうではない未来だって十分にあり得る。

以前ぎっくり腰になった時も似たようなこと書いてたな~。